この記事では、週刊少年ジャンプ2025年16号に掲載された「あかね噺」の第150席「お門違い」の感想と考察を書いて行こうと思います!
前回の振り返りは下の記事になります!
落語連盟の副会長‟大看板”椿屋正明が登場。その名跡は落語界で唯一世襲で守られてものであり、志ぐま師匠の「死神」というのは先代の正明師匠から教わっていた事が判明。そして、あかねは一生師匠に会いに行きます。
‟志ぐまの芸”を目指す道筋とは!?
落語監修はこれまで林家けい木さんというお名前でしたが、林家木久彦と改められて真打に昇進なさったそうです。おめでとうございます!
三つの噺と‟志ぐまの芸”
阿良川一生師匠によると、先代から「三つの噺を極めろ」と言われていたそうです。これはあかねが志ぐま師匠から言われていたのと同じですね。
出典:あかね噺|末永祐樹 馬上鷹将|集英社
‟芝浜”と‟死神”と、あと一つは伏せられています。
この三つの噺を十八番(おはこ)にした先に‟志ぐまの芸”が見えて来るって事なんでしょうけどね。それについては一生師匠は答えてくれません。話は終わり。
一生師匠は先代の演じる‟志ぐまの芸”を嫌というほど耳にしているからこそ、それは幻だと分かっている。たまたま先代の仁と規格が嚙み合って形を成した産物であって。他の誰かが落語家人生を懸けるような代物では断じてない!と。
しかも一生師匠は先代の最期を知っており、それが‟志ぐまの芸”に落語家人生を懸けた者の末路というのを見ているのかな。ここら辺はまだよく分からないんですけどね。壮絶な先代の顔が描写されています。
くだらんモノに囚われるなと言われたあかねは、逆に一生師匠こそ‟志ぐまの芸”に囚われていると言い返します。そして断言するんですね!
出典:あかね噺|末永祐樹 馬上鷹将|集英社
幻だろうが何だろうが者にして、阿良川一門の真打に必ず辿り着いてみせる!と。ここの啖呵を切るあかねは良いですね!実際にはメチャクチャ失礼なんでしょうけど(笑
あかねが出て行った後、一生師匠は「そうこなくてはな」と… まるでホラーなんですけど、少し喜んでいるんですかね。ここはどういう心理描写なんだろう。そういう性格の落語家を好んではいるんだろうけどね。
残る一つの噺とは?
三つの噺のうち、‟芝浜”と‟死神”は判明していて残る一つが伏せられています。この三つの噺を極め、十八番にする事ができたなら‟志ぐまの芸”をモノにできる道筋が見えて来るのだとして。
① ‟し”ばはま(芝浜)
② ‟し”にがみ(死神)
③ ?????
=‟し”ぐまのげい(志ぐまの芸)
残る一つも「し」で始まる演目ではないかと思われます。
そして、あかねは三つの噺をどれも持っていないと話しています。全てこれから覚える事から始めなければならない。あかねの持ちネタは除外です。
「し」から始まる落語の演目を調べてみるとですね。
- 品川心中
- 指南書
- 質屋蔵
- 将棋の殿様
- 商売根問
- 素人鰻
- 心眼
- 城木屋 etc.
これまた色々とあるんですよね。
僕は落語に詳しくはないので単にズラッと並べただけですけどね。‟芝浜”と‟死神”に並ぶ演目であるのは間違いないワケで。前座噺であるハズがないんですよね。それらを加味すればもっと絞れるのかも。
‟品川心中”かなぁ(何となく名前知ってる)
三つの噺のうちの一つに関してですが、おそらく一生師匠に教わる必要が出て来ると考えます。これこそが、あかねが一生師匠の預かりになっている最大の意味になって来そうな気がします。
そして‟芝浜”こそが、あかねが真打昇進試験でかける演目になると予想されますよね。あかねは‟芝浜”で真打にならなくちゃいけない。それを一生師匠に認めさせるんです!
そう考えると、伏せられている演目は一生師匠が十八番とする噺って事になるのかなぁ。まぁでも‟芝浜”を一生師匠から教わるルートもありなんですかね?どうなんだろう。
‟死神”を教わるのは正明師匠
‟志ぐまの芸”への道筋は示された。あかねは三つの噺のどれも持っていない。同じ噺でも落語家によって演じ方は千差万別で、誰に教えてもらうかの‟目利き”の腕も必要。
そこであかねが選択したのが…
出典:あかね噺|末永祐樹 馬上鷹将|集英社
椿屋正明師匠に‟死神”の稽古をお願いするというもの。
あかねの念頭にあるのは、志ぐま師匠の‟死神”が先代の正明師匠に教わったものである事。志ぐま師匠に教えてもらえれば良かったのですが、それは今は無理だからですよね。
正明師匠の答えは「お断りします」。
まるで前座修行の時に椿家八正師匠に‟平林”の稽古を断られたのと同じです。その時も弥栄亭でした。あかねと椿家とはこうなる運命なのでしょうか。
なぜ正明師匠は拒むのか。
ここをクリアしなければならないんです。正明師匠は「ムダな事には時間を割かない」と言っています。あかねに‟死神”の稽古をつけるのを無駄だと言っているんですね。あかねの仁と‟死神”が合っていない。だから稽古をつけたくないって事なんですかね。
先日のあかねの高座を正明師匠は聞いていたんだと思うんです。あの時の演目は‟あくび指南”でしたね。これを踏まえて何かあるような気がするんです。まだ正明師匠からの評価が下されてません。
あるいは、あなたはちゃんと目利きした上で私に‟死神”を教わりたいと言っているのか?と言いたいのかな。正明師匠が‟死神”を演じているのをあかねが見ている描写がないんです。単に志ぐま師匠が‟死神”を教わったのが先代の正明師匠だという理由だけですからね。
何か痛いところを突かれそうな気がしますね!
まとめ
一生師匠がちゃんと教えてくれるのか少し心配しておりましたが、三つの噺を極めるという道筋を示してくれたのは良かったですね。そして椿屋正明師匠に白羽の矢を立てたあかね。ここも面白くなりそう!
- 三つの噺を極めた先に‟志ぐまの芸”
- ‟芝浜”と‟死神”、もう一つは不明
- もう一つの噺も「し」から始まる?
- あかねが‟死神”の稽古に選んだのは椿屋正明
- 正明師匠は稽古を断る
さぁどうなるんでしょうか?
次回が楽しみですよね!
ありがとうございました!!
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