この記事では、週刊少年ジャンプ2025年22・23合併号に掲載された「あかね噺」の第156席「頭抜けてる」の感想と考察を書いて行こうと思います!
前回の振り返りは下の記事になります!
ちょう朝師匠から致命的な欠点を指摘されたからし。腰が引けているなら落語家なんて選ばないと上がったZ-1グランプリ決勝の高座で物議を醸すのだった。からしとしても正明師匠の評価は使えると瑞雲大賞への出場を決め…
可楽杯の再戦が決定!
人気では2人の相手にならない
‟作品派”でもやれると思わせられたら「死神」の稽古をつけていただきたい。こう申し出た日から2ヶ月。メディアは若手注目株のひかるとからしの瑞雲大賞出場を大きく取り上げた。大会まであと一月半。
そんな中、あかねは狸のキグルミを着て独演会の集客に励んでいました。朝がお兄さんとの勉強会の時のやつですね。懐かしいなぁ。
どうしてこういう事になっているかと言うと、集客が思わしくないからなんですね。3年日本を離れている間に阿良川あかねの人気は落ちてしまっていた。話題の瑞雲大賞にエントリーしているというのに。
出典:あかね噺|末永祐樹 馬上鷹将|集英社
人気では阿良川ひかると三明亭からしの2人の相手にならない!
さて、
この第156席には3つポイントがあると考えていまして。
その1つ目が、瑞雲大賞が話題になっているのはひかるとからしが出場するからであって、あかねは全く話題になっていないという事。あかねを注目する者は少ない。
誰もあかねを見ていない。
あかねには何が見えていない…?
出典:あかね噺|末永祐樹 馬上鷹将|集英社
居酒屋海で行われた独演会。あかねは「吝い屋」の台本を用意して高座にのぞんでいました。正明師匠がしていたように、セリフの時間もキチンと書き込まれたものをです。
後から録音していた本番の音声と比べてみると、ジャストなのは持ち時間だけでセリフの言い回しと間は台本とは全く違っていたのがわかります。まだ序盤の部分で9秒の違い(本番は遅い)が出ていますね。
おそらく台本の方は、あかねが事前にウケると考えた言い回しと間だったと思われます。しかし実際に高座に上がると、その時の客席の様子を見て「最適な間」を導き出し、それに合わせてしまうんです。
今日の客席に対して台本の間は「最善の間」じゃなかった。あかねはそれを瞬時に見極める「客席を見る目が頭抜けてる」と泰そんは言います。本来ならコッチを目指して努力するものなのに、あかねは逆の事を目指している。
あかねはあかねで「アネキにはケンがない」と言われた事が気になっていました。多分 ‟ケン”というのは‟見”である事に気づいてはいる様子だが…
出典:あかね噺|末永祐樹 馬上鷹将|集英社
私には何が見えていないのか?と。
ここが2つ目のポイントで、
あかねが見るべきは客席じゃないって事なんだと思うんです。それを見る目が他より頭抜けており、それがあかねの武器なんだけど。その前にちゃんと見るべきものが見えていませんよと。
こう指摘されているのではないかな?
客を笑わせずして勝ってみせろ
あかねは瑞雲大賞を「吝い屋」で勝ちに行くと考えていたそうで、泰そんもドカドカとウケが狙える賞レース向きの演目だから外さないだろうと予想。
しかし思いもよらぬ展開が待っていました。
出典:あかね噺|末永祐樹 馬上鷹将|集英社
一生師匠から「客を笑わせずして勝ってみせろ」と言われるのです。
これが3つ目のポイントです。
瑞雲大賞は可楽杯の再戦であって、その可楽杯においても志ぐま師匠から「その大会 ‟寿限無”で勝手こい」と条件を出されていたんでしたね(第13席)。またもや条件が出ました。今回の方が厳しめですかね。
まぁ ひかるやからしからすれば普通に勝負させてくれよ~ ってところでしょうけどね。その勝負の前に、あかねは正明師匠に認めてもらわないとダメなんです。こっちの方が大事ですからね!
そういう意味では一生師匠は間違っていないように思われます。
あかねはまるで‟爆笑派”を目指して瑞雲大賞に出場しようとしているんですよね。そうじゃないんでしょ?と。あくまでも‟作品派”でもやれるってとこを見せないと。一生師匠の言葉はそれを軌道修正するものかもしれません。
さらに2つ目のポイントとの絡みで、
出典:あかね噺|末永祐樹 馬上鷹将|集英社
台本よりもこうすればもっとウケるんじゃないかと客席を見てしまうあかねを諫める言葉とも取れるんですね。そうじゃないんだと。
おそらく演目は「吝い屋」です。
ここは変えないんだと思うんです。ドカドカとウケが狙える「吝い屋」で客を笑わせずして勝ってみせろと言っているのだと思うんです。だからってシーンとさせれば勝てはしないのでしょう。
ここで1つ目のポイントでして、
誰もあかねに注目していない瑞雲大賞において、落語家阿良川あかねココにありというのを見せて来いと。この章は「二ツ目・あかねの芸修行」とありますからね。笑わせるのではなく、その芸で客を唸らせて来いって事なんじゃないかなぁ。
つまり「吝い屋」で笑わせる事なく、その芸で客席を黙らせて来い。観客を引き込め。そこまで「吝い屋」という演目を昇華させて来いって事ではないのかな。それが‟作品派”というのに繋がるのではないか。
よって、あかねが見えていないのは客席に対する自分自身なのか。自分自身の芸を見つめろって事なのか。あるいは「吝い屋」をドカドカとウケが狙える演目としか見えていない、もっと演目(作品)を見つめろって事なのか。
ここら辺になって来るのかなぁと。
まとめ
一生師匠の言葉は一見ムチャ振りに聞こえますが、ちゃんと導いているような気がします。言葉足らずは相変わらずですが、そこから自分で何を見つけるかが大切なのかもしれませんね。厳しいことを言う人ほど私のことを考えてくれてた(第50席)。
- 瑞雲大賞で注目されるのはひかるとからしの2人
- 3年日本を離れていたあかねは集客苦に見舞われいた
- 台本通りにいかない高座
- あかねに見えていないものとは?
- あかねは客席を見る目が頭抜けている
- 瑞雲大賞は「吝い屋」で勝ちに行こうとしていたあかね
- 「吝い屋」はウケが狙える賞レース向きの演目
- 一生師匠の「客を笑わせずして勝ってみせろ」の意味
この厳しい条件をクリアする為にあかねはどういった行動に出るのでしょう。
そして泰そんとのコンビも板について来ましたね!
次回も楽しみです!!
ありがとうございました!!
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