この記事では、週刊少年ジャンプ2025年44号に掲載された「あかね噺」の第176席「目を向けるべきは」の感想と考察を書いて行こうと思います!
前回の振り返りは下の記事になります!
一生師匠の言葉の真意は演者の作為で笑わせようとするなという意味で、ありのままで魅せろというものだった。‟見”の意味を見誤っていた事に気づいたあかね。果たして彼女が目を向けるべきは何だったのか──!?
離見の見
あかねが‟見”の答えだと思っていたのは「練り上げた作品に意識を向けさせる為の目」。客席を見渡し、客に対して自分に語りかけていると思わせる。そうする事で客の「聴く意識」を高める。
目配せで客を掴む!
これが瑞雲大賞の予選での彼女の高座だったんですよね(第160席)。そうじゃなかったんです。彼女は‟見”というものを見誤っていた。その結果が予選5位。
あかねが目を向けるべきはお客さん1人1人ではなく、自分さえも含めた会場全体だったんですね。それを俯瞰する事でイメージを実際の動きのズレ、自分が魅せたいモノと客が見ているモノのズレを嚙合わせる。
そうすればより深く噺に誘う事ができる!
正明師匠の言う‟見”とは「離見の見」!
それは能の大家である世阿弥が芸論書「花鏡」に記した俯瞰の極意。舞台上に在りながら舞台上にいる自分自身を見つめる目だと言います。
落語は想像の芸能。「離見の見」を掴む事により芸が研ぎ澄まされ、客に伝える情報の密度が上がる。より想像力を喚起させられる。それにより語る世界も深みを増すという事なんですね。
それによりどんな事が起きるのか。
客が見ているのは演目の世界
うなぎの嗅ぎ賃を求められた人物が銭の鳴る音で支払いをするという噺。最初はあかねが語っているのですが、徐々にその姿が消えて行き… その演目の登場人物へと姿を変える。
すると次はバックに描かれていた襖(高座襖)がボヤけて来ます。それは舞台奥に設けられていたものです。それが消えて演目の世界が登場するんですね。嗅ぎ賃を求められる人物の家とおかみさんが出て来る。
あかねが消え、舞台装置が消え、そこはまさに演目の世界。
客の視界に展開するのは阿良川あかねの高座ではない。いつの間にやら演目の世界そのものを魅せられている。あかねの高座を‟聞いて”笑っているんじゃない。演目の世界そのものを‟見て”笑っているんです。
これを表現するって凄いですね!
‟消える”のその先
画面越しに見ている一剣師匠が「恐れ入ったね」と。しかし、これで終わりじゃなさそう。「‟消える”のその先」に至れるかな?みたいな。まだその先の境地が待っているんですね!
高座から演者が消えるというのは可楽杯で出て来ました。あかねが至った境地。聞き手が噺の世界に集中するあまり演者の存在が消えたように感じるというもの。名人クラスという話でしたね(第25席)。
これの次の境地があるんです。
この瑞雲大賞で正明師匠を認めさせる事ができれば、あかねは「死神」を教えてもらえるんですね。あかねに「死神」の稽古をつけても良い。そう正明師匠に思わせる事になるんです。
そう考えると答えは自ずと出てきそうな。
それに至ってこそ「死神」を教えられる、と。
志ぐま師匠の高座で客の目に死神が見えたように、あかねも見せるんだと思うんです。泰そんが「無駄に遣うな」で何かを魅せられたようにね(第174席)。演目の世界そのものを魅せてしまう。
あとは客が‟ゾーン”に入るかどうかになるんですかね。極限の集中状態に入る事になるのだろうか。ただし、「吝い屋」は怪談噺じゃないので違うかもしれませんけどね。
次回からドカンドカンと大爆笑を取り始めるんだと思うんですけどね。より「吝い屋」の世界に入り込む事によってです。正明師匠の他の2人の審査員も大爆笑なんじゃないかな?
まとめ
次号センターカラーという事でして、次がクライマックスになりそうですね。そして審査はその次でしょう。また次回もトンデモナイモノを魅せてもらえそうですよ!
- 練り上げた作品に意識を向けさせる為の目というのは間違いだった
- あかねが目を向けるべきは自分を含めた会場全体
- ‟見”とは「離見の見」だった
- あかねが消え舞台装置も消えて演目の世界になる
- ‟消える”のその先とは
やっぱりあかねの圧倒的勝利になりそうな?
ありがとうございました!!
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